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クリスマスの時にキリスト者が「期待して待つ」のは?

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★主イェス誕生の時に生きていた一人の人物に焦点を当てます。★マリアとヨセフは赤子が生まれて八日が過ぎたため、赤子を「イエス」と名付けました。二人は、きよめの律法規定を守り、次に初子の律法規定に従い、赤子イエスを連れてエルサレムへ上りました。★その時、エルサレムにシメオンという名の人がいました。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいました。また聖霊が彼に宿っていたのです。このシメオンは、主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていました。★シメオンが御霊に感じて宮に入りますと、両親が赤子イエスを連れて入ってきたのです。シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言いました。「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに、この僕を安らかに去らせてくださいます、わたしの目が今あなたの救を見たのですから。」★記載がないためシメオンの年齢は不明です。しかし、語られた言葉の内容から、高齢な老人であったと推察されています。ということは、シメオンは「高齢なその年齢に至るまで、毎日毎日、救主の来訪を待ち続けていた」ということです。★一口に「期待して待つ」と言いますが、実生活の中で「期待して待つ」ことは、なかななかしんどいものです。ですから、年老いたシメオンを支えていたのは恐らく「聖霊の示し」でありましょう。この「聖霊の示し」を適用的に言えば、「聖書の中に記された約束(契約)の言葉」と言えます。★その約束(契約)の言葉に基づくなら、このクリスマスの時、クリスマスの意味を知るキリスト者が「期待して待つ」のは、主イェスの「再臨!」です。
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